私が鍼灸師になった訳

一人娘を育てながら20代後半から飲食店でパートで働いていた私が、なぜ鍼灸師になったのかまとめてみました。

パートからのキャリア変革

結婚して子供を産んで専業主婦でいるのもなんだかつまらなくて、求人情報で見かけた飲食店でパートで働いていました。
それなりにやりがいは感じていたのですが、気づけば10年近くも働き続け自分もあと数年で40歳という大きい壁が近づいて来た時にふと
「このままずっとこの仕事を続けるのかな」
と考え始めました。
その時点でシングルマザーになっていた私はなんだかそれは違う気がすると思いました。
何か手に職付けたいな、じゃあ何をしたいだろうと考えた時に
「整体師を目指そう」
と思いました。
自分自身頑固な肩こりに悩まされていて整体院(いわゆるもみほぐし)によくお世話になっていたので今度は自分が誰かを癒す側になりたいと思いました。

困難を乗り越えて整体学校

好きな時に自由に通える整体学校があり、仕事をしながら休みの日を利用して整体の学校に通うことにしましたが、現実は整体師になりたいという思いはあっても転職する勇気もなく、忙しいを理由に学校も真面目には通わず現状維持に甘んじる日々を送っていました。

そんな中めまいが起こるようになり、立っていられないほど辛く仕事も休まざるを得ない状態になってしまいました。耳鼻科にも通院しながら2か月ほど休職しましたが改善せずそのまま退職することになりました。
当時中学生になっていた娘を抱え体調も悪いままの失業はかなりの絶望感でしたが、だからこそ
「こうしちゃいられない」
というパワーも沸き、体調の良い日を見計らって整体の学校に真面目に通うことにしました。

整骨院での仕事と志向の変化

3ヶ月経ち失業保険も切れ整体の勉強の目途もつき就職活動を始めた時に整骨院での仕事にたどり着きました。
国家資格を持たない整体師なのでリラクゼーションサロンという選択肢の方がメジャーなのですが私は医業類似行為を行う整骨院での自費メニューを担当する仕事にご縁がありました。

整骨院に来るのはやはりケガなどをして痛みがある「患者様」
患者さんたちと接しているうちに「癒したい」から「治したい」に意識が変わり、資格的にも技術的にもこのままでは患者さんたちを救えないと思うようになりました。

じゃあどうしようとまた考えるようになり、整骨院で活躍する柔道整復師の資格を取ることも考えましたが娘もいる身で3年間専門学校に通うのは無理、と気持ちは動きませんでした。

鍼灸との出会い

整骨院で働くようになってからもめまいには悩まされていましたが耳鼻科に何件も行き大きい病院で検査をしても異常なし。
辛い時は点滴を受けてから仕事に行く日もありました。
ある時ふと、肩こりで悩む私に「鍼すごくいいよ!」と言っていた何年も前の友人の言葉を思い出し
「鍼受けてみよう」と近くの鍼灸院に生まれて初めて鍼を受けに行きました。

鍼を打たれた瞬間、私の中で何かのスイッチが入るのを感じました。
鍼の響きの心地よさ、滞っていたものが流れる感覚。。
身体が良くなる感覚はももちろんですが整体師として行き詰っていた事に対しても
「これだ!」と思い60分の施術が終わる頃には「鍼灸師になる!」
と心が決まっていました。

鍼灸師への道

鍼灸師も国家資格なので3年間専門学校に通うのですが「でも無理」は一切沸かず、すぐに資料請求し何かに導かれるようにバタバタと1週間後には専門学校の入試を受けていました。

ちょうど娘が高校に入学する年に私も40歳にして専門学校に入学。
昼間は仕事をしながら夜は学校に通い3年後無事に国家試験に合格し鍼灸師免許を取得。
市内の鍼灸整骨院にて5年間、延べ10,000件の施術に携わりこの度独立開業をいたしました。

鍼を受けてからどこに行っても良くならなかっためまいも改善し、鬱々とした気持ちも晴れていき性格も変わっていきました。
私の身体も心も救ってくれ、人生をも変えてくれた鍼で、今度は私が誰かのお役に立ちたいと思ってこの仕事をしております。

振り返りと感謝

あの時めまいが起きなければ
整骨院で働かなければ
何年も前の友人の言葉を思い出さなければ
別の鍼灸院に行っていたら

一つでも違っていたら鍼灸師になっていなかったかもしれません。
今では辛かっためまいも含めてすべての出来事に感謝しています。

最後までお読みいただきありがとうございます(^^)

この記事を書いた人

慶kei鍼灸院院長:松田慶子/国家資格:鍼灸師免許取得

免許取得前は整体師として身体に携わる仕事に従事。
免許取得後は仙台市内の鍼灸整骨院にて年間2,000件ほどの施術を行っています。